どの機体にも思い入れはありますが、特に印象に残っている機体です。
もう、飛ぶ姿を見ることはありませんが私の脳裏には鮮明に焼き付いています。
一番最初の主力戦闘機であり、昭和57年当時は連絡機として使われていました。
中学生の私が最初に見たブルーインパルスがこのF86Fを使用し、86ブルーと呼ばれていた時です。
小松の空を自由に飛び回り、カラースモークで描く軌跡にとても感動しました。
私の頭の中で「航空自衛隊へ入ろう」と誰かが叫んだような気が…
「最後の有人戦闘機」というキャッチコピーで登場した当機は二番目の主力戦闘機でした。
昭和57年当時、沖縄と九州に各1個飛行隊のみとなりF-15と交代していました。
空に突き刺さるように離陸してく姿はまさに槍でしたね。
自衛隊機で一番最初に見た機体で、小学校6年生の修学旅行の時でした。
国産初の超音速練習機でありF-1支援戦闘機の母体になった機体です。
アクロバットチーム ブルーインパルスの使用機でもあり、T-2ブルーと呼ばれていました。
超音速の機体でありながら機敏な動きをして、超低空で進行してくる時の姿が一番絵になっていました。
私が入隊した年に浜松基地で演技中、2機が墜落事故を起こしています。私の勤務していた部隊でも情報取集等に走り回った事を思い出しました。
港に墜落し、多くの輸出待ちの車が犠牲になりました。
事故は決して起こしてはならない。残された人が悲しむだけです。
バートルとも呼ばれた大型輸送ヘリコプターです。
航空救難団の主力として活躍し、陸上自衛隊でも大量に使用されました。
沖縄の離島の基地等に移動の際はよくお世話になりました。
台風接近でバートルが基地に近づけず3日間の出張の予定が二倍に伸びた時、6日目に青空の下水平線上に現れた当機が天使に見えました。
なんとも平和な話ですね。